
今日は「はな子さんの体験談です」
「発達障害に気づくのが遅くても、人生は変えられる。」
大人になって初めて気づいた発達障害。その特性を受け入れ、工夫と助けを借りることで、「生きづらさ」から「生きやすさ」へ。私が学んだ小さなコツをお届けします。
世間での発達障害の認知と偏見
発達障害について、世間では少しずつ認知度が上がってきました。
しかし、まだ偏見や誤解が多く、良いイメージを持たれていないことも少なくありません。
発達障害を持つ本人でさえ、自分の特性を受け入れるのは難しいことがあります。
「発達障害者というレッテルを貼られたくない」という気持ちと、日々の困りごとに直面する現実との間で、葛藤を抱える人もいるのではないでしょうか。
それはとても「生きづらい」状況だと思います。
私は大人になってから学習障害等がわかりました。
生きづらかった理由がやっとわかって、やっと前に進み出した気がします。
すると、どうすれば少しだけでも生きやすくなるか、どうすれば明るい未来を生きれるか、その課題が待っていました。
私の困り事が、発達障害による凸凹だったことに気づくまで
私は学習障害(LD)という発達障害があります。広汎性発達障害もあるようです。
幼稚園の頃から、周りに馴染むのが苦手でした。
小学生になるとクラスに友達ができず、「自分は周囲とどこか違うのではないか」と感じ始めていました。
この頃の私は、ただ漠然と「周りの人は自分とは違う種類の人たち」だと感じていたのですが、既に共感は得られないと悟っていたのでしょうか。
勉強がどうしても出来ず、わかって当たり前のサービス問題すら答えられず恥をかくのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。
でも恥ずかしがる姿を見せるのすら恥ずかしかった私は、「大人っぽいクール」な人間となることで人との関わりを最低限で済むようにし、能力の低さを隠す生き方を、自然と身に付けていったのです。
高校では、新しい環境に飛び込んだことで気持ちをリセットしようとしました。
しかし、自分の「真面目だけど頭が悪い」というイメージを隠すため、今度は「おバカキャラ」を装うようになりました。
しかしそうやってなんとなくやり過ごせるのは学生の時までです。
社会に入り、自分の苦手な能力とバチバチぶつかることになって、誤魔化しのきかないこの世界で自分自身の無能振りをまざまざと思い知らされたのです。
大人の発達障害は心療内科では見てもらえない?
発達障害に気づくタイミングは人それぞれです。
幼い頃に診断を受けた人もいれば、大人になってから自身で調べ、気づく人もいます。
子供の頃からだったり、小学校、中学校…人によっては親ではなく自分自身でおかしいと思って調べ出した人もいるでしょう。
最近では「大人の発達障害」という言葉を耳にする機会が増えました。
これは、大人になって発達障害が突然発症したわけではなく、子どもの頃から特性があったものの、環境や周囲の影響で気づかれないまま成長したケースを指します。
大人になるまで、環境など何らかの理由で、発達障害特有の困り事を感じつつも発達障害だとは気付かないで過ごしてきた人の事をさします。
幼い頃から発達障害と向き合ってきた方の事はわかりませんが、私はこの「大人の発達障害」でした。
現代では発達障害の認知度も上がり、小さな子供の頃から凸凹、グレーゾーンという言葉と共に療育を受けることの出来る機会が増えてきていますが、昔はというと、なかなかそういった発想をする親は少なかったかと思います。
相談しても聞き入れてもらえない、問題児として扱われるか大人しい子として陰ながら懸命に生きてきた、そんな人が多いかもしれません。
社会に出て上手く立ち回れなくなって、私は精神障害を患っていました。
二十歳過ぎ頃からです。
いわゆる「発達障害からくる二次障害」ですね。
そこから7年近く、精神障害と付き合いながら納得できない生き方を続けていたわけです。
発達障害の、学習障害(LD)についての記事をネットで見たのが私の人生の転機でした。
まさしくそこには、私が悩んでいた事が書かれていたのです。
自分自身、何故出来ないのかという事すら気付かないで過ごしていたので、記事を読んで逆に教えられた部分もありました。
普通の心療内科や心療クリニックでは、精神障害にたいしての治療を行うだけであり、患者から発達障害かもしれない…と打ち明けられてもそのほとんどは軽く流されておしまいという現実があります。
私もまさしくこの流れでした。
「もう大人まで成長出来たわけだし、得意不得意はだれにでもありますよ」なんて言われ、頑張って困り事を伝えたのですが、「伝えたいと言う気持ちが強いのは良くわかりましたよ」と言われ、もうなにも言えずに診察室を出たのです。
そんな言葉は私には響きません。
大人の発達障害を見てくれる専門的なクリニックはとても少ないんですよね。
それでも、納得できない!と、病院を探し、
3ヶ月待ちをして、発達検査を行ってくれる病院へ転院。
「大人になってしまってると社会性を身につけているので判断が難しく、すぐにはわかりません、テストの結果だけではすぐには診断出来ないですし、大人ということもあり診断は出さない方がいいかもしれません」と説明をうけました。
そして発達検査のテストを受けてやっと、自分がどんな人間なのかわかった気がしたのです。
学習障害(LD)の困り事は?
読字障害(ディスレクシア)&書字表出障害
文章を読むときの障害と、書くときの障害です。
私の場合は、
- 読む場所を見失い見つけるのがなかなか難しい
- 言葉に出して読むとスラスラ読めず、また読むのにいっぱいで内容が入ってこない
- 読書などをしていると同じ行を繰り返し読み続けてしまいなかなか進まず、その行の内容の理解も出来ない
- 雑誌やスマホの文章を読むときになぜか斜め下や最後の方を読みはじめてしまい、最初から順をたどって見ることが難しい
- 無意識に飛ばし読みをしている
- 「ソ」と「ン」や、「幸」と「辛」など似てる文字を読み間違えたり書き間違え区別が難しい
- 書けていた漢字が同じ文章中でも書けなくなったり頻繁に字を間違えている
算数障害
数に関する部門での障害です。
私の場合は、
- メートルやリットル、センチ、キロ、グラムなどの大きさのイメージがつけられない
- 算数(足し算や引き算)が手を使ったりしなければ出来ない
- 定規やスケールの数字を読むときに時間がかかる
- 数字を覚えるのが難しい
人前で字を書くことなどが怖くなってました。
この他にもいろいろな困り事があり、日常生活では、
- 視線や理解の困難さ
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目の前に探し物があっても、視点を合わせるのに時間がかかるので、周囲をイライラさせてしまうことがありました。
- 話の理解が追いつかないことが多い。
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話の理解が追いつかないことが多いので、昔から「わかってる?聞いてなかったの?」と注意されることが多かったです。
わからないことを正直に伝えても、「何で?わかるでしょ?」と流されてしまうこともありました。
- 音楽や学習に関する困難
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ピアノなど音楽のレッスンを10年続けても楽譜が読めなかったです。
音符は読めるが、スムーズに楽譜を理解できない。
これが自分の「普通」だと思っていたため、楽譜が読めないと気づかなかったのです。
- 複数のことを同時にする困難
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2つのことを同時に行うのが苦手です。電話しながらメモを取ることができませんし、話を聞きながら別の作業をするのが難しいです。
- 仕事における課題と結果
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数字を扱う仕事や複数のタスクが絡む業務が苦手でした。頑張って努力で補おうと無理をし続けた結果、疲れ果ててしまいました。
きっと、障害を抱えながら過ごす人も同じように、周りの人とは感覚が違うなんて疑う事はなかったのではないかと思います。
私は28歳にしてやっと、これまでの生きづらさの理由に発達障害があることがわかって、「ホッと」しました。
コミュニケーションの場でも、数人と話しているとき内容についていけ無かったり、内容が理解できなかったりしていたのですが、話の流れの雰囲気だけで「ちゃんとついていけてるし、理解できてる」と思い込んでいた為、知らぬ間に失礼なことを言ったり理解出来てなかったが故に相手を嫌な気持ちにさせる事も多かったのだろうと、今ならわかります。
発達障害を受け入れる事の難しさとヘルプカードの存在
私はこれまでの経験から、「努力が足りないんだ」「どんなに頑張ってもバカだから覚えられないんだ」「ぼーっとしててシャキッと出来てないんだろう」と自分を下げる思考が多かったです。
完全に自尊心の低い人間でした。
だからこそ、発達障害がわかったときには、努力不足では無かった!という意味で「ホッと」しました。
でも皆が皆がそう思うわけでは無いのですよね。
自分が発達障害だなんて受け入れられない、信じられない…障害者になりたくない、普通で居たい。
そういう人も多いでしょう。
出来ることなら皆と同じがいいです。
私だってこんなに苦労せず、平均的な理解力やコミュニケーション力を持ってうまれたかった。
それにホッとはしたけれど、ではこの先どうすればいいの?何も変わらないんじゃないの?と考えると、頭が痛かったです。
しかし、どんなに否定したくても、困り事は無くならないという現実があります。
苦手なことを隠して、友達にはわかってる顔して愛想笑いで通して、仕事では求められるスキルにどうしても行き着かないもどかしさなどを、ずっと感じながら生きなきゃならないなんて嫌だと思いました。
そんな私に、自分なりの生きやすさを決めるきっかけを作ってくれのは「ヘルプカード」というものの存在でした。
発達障害の私の未来が開けたポイントは「知識」と「勇気」
ヘルプカードの活用方法を書く前に、ヘルプカードを使おうと決心出来るまでについて伝えたいと思います。
まず発達障害についての偏見は実は、知識不足が原因ではないかと考えました。
自分が抱く偏見、他人が持ってる偏見などですね。
そして生きづらさを強く感じるのは、その偏見に負けてしまい自分自身の勇気不足でもあるのではないかと思ったのです。
もちろんこの世界、この社会を作っていくほとんどの人が健常者と言われる定型脳の人達ですから、そうではない私がうまく馴染めないのも仕方がありません。
簡単に言うと、健常者が自然と「これが普通」と口を揃えて思うことも、発達に障害を持った人にとっては全然「普通」なんかではありません。
光が眩しく感じて不快だとか、食事などの食感、色合いなどに敏感に不快感を感じてしまったり、怖い音があったり、コミュニケーションが上手くいかなかったりといった、赤ちゃんの頃から健常者とは違った感覚を持って生きています。
あぁ、皆良く頑張っていたね。とそう言いたくなります。
でも、これが私たちの「普通」です。
発達障害という総称を一旦頭から取っ払って、自分という人間はどんな事が出来る人なのかなと考えてみることにしました。
①自分の苦手な能力の把握と分析
②自分の苦手な能力に何を足すと少し改善され楽になるのか
これがわかれば大丈夫です。
例えば、
困り事1、
何故買い物が苦手だったのか→商品を的確に探せない事が原因→誰かに手伝って貰うか、スーパーなどお店に行く前にある程度探しやすくなる工夫を行う
困り事2
何故算数や計算が出来なかったのか→空間認知やイメージ力の難しさが原因→視覚的サポートを使い(描く等)イメージ出来る幅を広げる、必要に応じ誰かにやってもらう
困り事3
なぜ人の話を上手く聞けてなかったのか→情報処理能力が追い付かない為→ゆっくり話してもらうか、わからないと伝える
困り事4
音符は読めるのに楽譜が読めていなかった→書字障害等に関係する難しさの為→音符の音階に合わせ色を塗る、参考になるものがあれば耳で聴いてリズムなどを把握する
困り事5
音楽活動で、自分の音に意識を向けると歌詞を忘れたり周りの音が聞こえなくなってしまう→なるべくそうなったときの状態を、無意識で過ごすのではなく自分で把握出来るようにすること、気が削がれないように気を付ける



記憶の弱さ、文章の飛ばし読みや滲んで見える、光だけでなく文字や景色が眩しく感じる事がある、など普段から不便に思う困り事をあげてみて、カラーシートやサングラフを使うなどの対処法を探していく事をしました。
そして、“何を足すと改善されるか”には「人に助けを求める」事も入っています。
発達障害は努力でよくなるようなものではありません。
健常者と同じ方法の努力をひたすらしても出来るようにはならないのが発達障害で、「努力が足りない」というのは間違いなのです。
苦手な部分を頑張り続けると、いつかは疲れてしまいます。
大事なのは、「努力の仕方」でした。
でもほとんどの人が初めは思うかもしれません。
「これやってください、これ探してもらえますか」「ちょっと理解できません」なんて…言う勇気無い!
自分でやれよ!と思われるかもしれない。
私は実際に理解できないと伝えたときに、取り合ってもらえ無かった経験がなんどもあります。
事前に予習や対策をしていても、突然起こる対応できない困り事があったときに自分を責めるばかり。
やはり一人でどうにかしようとしすぎるのはやめないと自分の心を守れないと判断しました。
そこで、ヘルプカードを使うことにしたのです。
ヘルプカードは凸凹の私を助けてくれる存在になった
ヘルプカードは、発達障害などの「目に見えない障害」を持つ人が、周囲から適切な支援を受けられるようにするためのツールです。
たとえば、困っていることを説明するのが難しいとき、カードを見せるだけで必要な配慮を得られることがあります。
※まだ全国的には普及されていませんので、役所などに確認してみてくださいね。
ヘルプカードを持っているからといっていつも困ってるわけではないですし、カードを持ってる人に例えば電車で席を譲ったりするのも、ちょっと違います。
その人はどんなことに支援が必要なのかというのは、持ってるだけではわからないんです。
ヘルプカードには手帳もついていて、手帳にはどんな支援が必要なのかを書けるようになっています。
障害だけではなく、認知症などのお年寄りがお持ちになれば、相手が困ってると判断した人が住所や連絡先など手帳に書かれた情報どうりに支援することができまできます。
自分から手帳を提示して、支援をお願いする事も出来ます。
でも、わかる人にはわかるはず。
使うにはとーっても勇気が必要です。
言ってしまえば、「私は支援を必要としている人です」という目印をつけて歩いてるわけですから。
しかし、「私は健常者に比べ苦手な所があり、支援が必要です」とわかりやすいものがあると、
口だけで「これが苦手なの」というだけよりも全然効果が違ったのです。
別にみんなにわざわざ、こんな障害があって…と説明する必要はないと思います。
それをしなきゃいけないって思うとちょっとハードル上がっちゃいますよね。
私は、よく接する、特にお世話になっている友達には自分からカミングアウトしましたが。
突然付けだしてなにも言わないのは友達としてどうかなーと思ったもので。
手帳の中身も読んでもらいました。
「私に出来ることがあれば言ってね、人混みとかそういうのは大丈夫なの?」と優しい言葉をかけてもらえましたよ。
それ以外の人の反応はというと…
「それなぁに?見せてもらってもいい?」と声をかけてくれる人もいました。
もちろんなにも言わない人が多いですが。
役所などになると、私にとってはとっても苦手な場所の1つです。
どこにいけばいいのかも、何をすればいいのかもわからなくなります。
他でも、何かの手続きとかで書類を書かなければならない時なんかがあるわけですが、そんなときもヘルプカードが助けてくれました。
見えるところに(鞄)さげておくだけでも、相手は丁寧に接してくださいます。
そこで、これがわからないとか、こうしてほしいといったお願いをすれば、丁寧にお手伝いをしてくださるのです。
その他の場面でも、ゆっくりでいいですよといった優しい言葉をかけてくれるかたがいたり、何かお手伝いすることはありますか?と言われた事もあります。
こう声をかけてくださったおかげで、「周囲を見て状況を把握するのが苦手なのですが、これはどこにありますか?」と聞いて教えてもらうことが出来ました。
とっても嬉しいし助かりました。
なんといってもヘルプカードを身に付けるようになってから人の優しさに多く触れる機会が増えたのです。
偏見を持っていたのは自分だったのかな、と思いました。
そして最近では、「発達障害なんて怠け者のいいわけだ、皆苦手な事は持ってる」なんて心ない言葉を聞いたり言われたりすることがあっても、自分の心が動じなくなりました。
優しい人達がたくさんいるのだからそうでない人もいる、
自分の困り事を理解してもらえない人がいても、自分がちゃんと対応をわかっていれば、無理に理解を求める必要はない、
といった前向きな気持ちで過ごせるように変わっていったのです。
発達障害を受け入れた事で開けた未来のまとめ
公表というと、とても大それた事のように感じますし、初めは怖いものです。
でも自分で出来るだけの、ちょっとした勇気を少しずつ出していくことで、これまでと全く違う明るい未来が待っているかもしれません。
私は約30年生きている中で、学生の頃の事は消したい過去だと思い続けていました。
そのあとも、何となく生きているだけで、辛いことばかりだと思っていたのです。
それが、隠す生き方を辞めて、時に助けを求める事が出来るようになってから初めて、人生の中で自分の足で立って歩いてると感じることが出来ました。
現在は、眩しくなったときに(度付き)サングラスをかけ、文章はカラーシートをかざして読んだり、これまで「どうしよう…」と不安になっていた事も、わからないことは家族以外でも誰かに聞けるようになってきて。
理解してくれる人たちの事を大切にしながら、今の凸凹を持った自分との関わりかたがわかり未来が開けました。



この記事を読んだ人の、少しでも参考になれば幸いです。
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